野心はないが高貴で金持ちなボンボン男が結婚に向かない理由

ドン・ファンに負けず劣らずプレイボーイとして名を馳せている人物が日本にもいる。

それが光源氏その人だ。

平安中期の清少納言によって描かれたこの人物は、華々しい女性遍歴を持ちつつも、その女性に対して自分の母親への愛情の飢えを投影して、次々と女性を取り換えるていく・・・。

光源氏の母親は桐壺更衣とい。

桐壺更衣は、桐壺帝に寵愛されて源氏を産むのだが、帝の女御(皇后の候補)のたび重なる迫害にあって、源氏が幼いうちに病死してしまう。


そのはかない死によって、桐壺更衣は、美しく清らかな幻影のまま源氏の心に残る。


ついには、源氏は、桐壺帝の妻・藤壺が桐壺更衣にそっくりであることから、藤壺を激しく慕い、その思いをおさえきれず、自分の義母(藤壺)と密通してしまうのだ。

だが、光源氏は、ドンファンのような虚無主義者(ニヒリス ト)ではない。

ドンファンは、つねに現実の女への幻滅(げんめつ) を抱いているが、源氏は、自分が抱いた女たちをこよなく愛する。

肉と心の官能が忘れられないからこそ、遍歴をくり返すのだ。

その点は、すべての女性に官能をおぼえるゆえに遍歴の虜になったカサノバ(一八世紀イタリアの実在の冒険家。ドンファンと並ぶプレイボーイの代名詞)と似ていなくもない。

つまり、光源氏は、西洋の女性遍歴者の双璧であるドンファンとカサノかバの要素を兼ねそなえているわけだ。

光源氏は、架空の人物にはちがいないが、平安貴族の実態を象徴する存在でもある。


容姿端麗と華麗な女性遍歴で知られる平安貴族・在原業平は、ある意味では、光源氏の実在のモデルだともいわれている。


平安貴族が多くの女性と関係をもつ場合は、二つの目的がある。

ひとつは、政治である。

たとえば、藤原氏の一族は、天皇をふくめた皇族に寵愛される美しい娘を量産するために、せっせと美しい女を抱いた。

そして、もうひとつは、在原業平に代表される、純粋な遊びだ。

平安の世には、政治のラインからはずれてしまったばかりか、なんの役職ももたない暇な貴族がゴロゴロいた。

業平には、左中将という役職があったものの、それは政治の中枢につながる重職ではなかった。

つまり、業平には、政治的活動に神経をよとがらすことなく、歌を詠んだり女性とたわむれたりする、ゆとりがあったわけだ。

光源氏も、帝の子ではあっても、皇位継承のラインから大きくはずれていたという点では、暇な身分にはちがいなかった。

源氏が、義母・藤壺や人妻・空蝉と密通をしたのも、政治から解放されていた自由人ならではの大胆なアバンチュールだったのである。

高貴な生まれ、めぐまれた容貌、気品のある物腰、和歌、管弦などの芸事の才。

それらを身にそなえつつ、政治や権力への野心とは無縁のさばさばした空気を放っている。

これは、とてつもなく女性にモテるタイプだ。

女性というのは、エリートや成功者を求める一方で、彼らが、その立場を維持することに気をとられて自分のことを振り向かなくなることを、なによりも嫌う。


また、野心に駆られるあまり、いじましくなったり冷酷になったりする男に大きな幻滅をおぼえる。

その点、富、美貌、センス、ゆとり、女性への熱い情熱と思いやりをそなえた光源氏のような男は、女性にとって、まさに夢のような男ということになる。

そして、そんな夢のような男が、平安の世には実際にいたのである。

さて、平成の世にも光源氏のようなタイプのモテモテ男が実在するかどうかはさておき、そういう〝夢のような男〟は、たしかに素敵だが、夢のようなアバンチュールもやらかしてしまうことを、くれぐれもお忘れなく!

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