愛しすぎることの危険性・・・。愛憎絡む人間関係は人生を破滅させるという定説

土曜ワイド劇場などで頻繁に起きる殺人事件において、刑事が被害者の交友関係を洗う中で、恋愛関係に焦点を当てて、恋人を捜査線上に挙げることがある。

よく考えるとこれはおかなしことである。

なぜ被害者と愛し合う関係である恋人が刑事の捜査対象になるのか?

仮にあなたの恋人が誰かに殺されたとするなら、間違いなく刑事はあなたのもとへやってくるだろう。

そして、刑事たちは、「これは、ひとつの形式なんですが」とおきまりの前置きを述べて、殺人のあった日時に、あなたがどこでなにをしていたのかを聞くだろう。

その被害者を心から愛していたあなたは、なぜ、自分のアリバイを調べられるのかが、てんで理解できない。

そして、深い悲しみにうちのめされている被害者の恋人を、殺人者としてマークする刑事に、とんでもない理不尽さをおぼえるにちがいない。

しかし、刑事が、被害者の恋人を徹底マークすることじたいは、理不尽とはいえない。

彼らの多くは、経験上、恋愛感情と殺意が紙一重であることを知り抜いているからだ。

そう、殺人は、いわゆる「愛情のもつれ」によって、引き起こされることがあるからだ。

へんぼう 心理学では、「愛」が「憎しみ」に変貌する現象を「カタストロフィ理論」と名づけている。

「カタストロフィ」には、「大変動、大災害」のほかに「悲劇的な結末、破局」の意味がある。

それが、辞書に示された直接的な意味だ。

心理学では、この言葉を、「心理的な破綻」の意味で使っている。

心理学では、人間は、だれしも、心のなかに破壊願望、破滅願望を秘めていると考える。

一見、おとなしい市民のなかにも、うじつは、道理にあわない破壊、暴走への欲求が埋めこまれているのだ。

阪神タイガースが優勝すれば、大阪は、かつてない熱きょううず狂の渦に巻き込まれる。

それも、ただの熱狂ではない。

タイガース優勝の日は、大阪中が道頓堀に飛びこむ人や、店の看板をはずして盗む人、裸で走り回る人で埋めつくされ、その日の大阪は、まるごとアナーキー都市になってしまうことが予想される。

そのように、ふだんは抑圧されている破壊願望は、ひとつのきっかけで火山の噴火のように噴出するのだ。

たとえば、古代ローマにおける剣闘士(グラディエーター)の戦いは、ローマ市民にたいするサービスであった一方、死と残酷を市民に堪能させることで、帝国支配にたいする暴動エネルギーを消費させる策でもあったとされている。


そうした破壊願望、残酷への欲求があるかぎりは、相手へのしょうどう「愛」が、相手もろともに自分を破壊する衝動にかわるのは、宿命的であるとさえいえる。

なぜならば、「かわいさあまって憎さ百倍」というように、愛する相手は、嫉妬、疑いなどの苦しみをもたらす相手でもあるからだ。

つまり、その苦しみが、なにかのきっかけによって、人間の奥底に埋めこまれた破壊願望と直結し、殺害におよぶほどの「憎しみ」にかわるのである。


本当に人間とは、コワ.いものなのだ。

というわけで、あなたの隣の優しい恋人だって例外ではないかもしれない。

くれぐれも油断しないことをおすすめする。

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